5年生修了!!


今日でようやく5年生が終了です。


今頃は学校で先生を泣かしているころでしょうか^^


6月からの途中転入でしたが、学校にも周囲の子供達にも温かく受け入れて頂いて、先生とも良くお話をし、楽しい1年弱を過ごす事が出来ました。


息子がADHD故の悩みも全くないわけではありませんが、心穏やかにこの日を迎えられた事に学校や周囲の方々に感謝をすると共に、新しい6年生という1年間もこのように穏やかに過ごせる事をただ祈るばかりです。


新学年の6年生では、待ちに待った修学旅行もありますし、中学進学へ向けて色々と気を引き締める時期でもありますし、新しい事へのチャレンジは息子も大好きなので、親子して楽しんで過ごしていきたいと思っております。


最後の小学生の学年を迎えるにあたり、ある意味の感無量感があります。


この5年間の成長は、今の自分がいる事すら想像ができないほどの5年間でした。


苦しんで悩んだ時期もありましたが、今となれば良い思い出。


これからは、ただひたすら息子の将来を案じながら、息子の選んだ道を一緒に前を向いて進んで行こうと思っております。


ふと、振り返れば母がいる。。。


そういう事を繰り返しながらも、息子の背中を押し続け見守って行きたいなと感じた今日でした。

あきらめないで!(DVDより)


先日、主人が私が好きなGleeのコンサートのDVDを借りて来てくれました。


もともと私がGleeが好きなのは、昔の有名な曲をアレンジしながら歌いながら踊る。。と言うのに魅力を感じていました。


そう。。それだけ。


が、昨夜見たコンサートではある事に気付きました。


人は皆同じではない、人と違っていい。ある意味の負け犬と呼ばれても、君は君、自分の信じている道を進んで行こうよ!と言うメッセージが存分に込められたコンサートでした。


中には、アスペ当事者の方も出て来て自分の事を自分の言葉で語ってました。


自分は不安感があり、それがパニックに繋がる事もある。自分たちはこう言う事をメルトダウンと呼んでいて、心の中にマグマを抱えている。


外に出る事が不安で、引きこもって不登校になったりもする。


でも、このGleeを通じて皆何かしらの悩みや苦手を抱えていて、周囲から何と言われようがそれに立ち向かいながら自分を持ち、まっすぐに進んでいる。


そう思った時に、友達が出来て家に遊びに来てくれる人も出来た。


自分にとっては大きな成長よ!


と言われてました。


人と違う自分と言う面においては、日本みたいな閉鎖国ではないアメリカなので、たくさんの人種がいて、自分の出生についてのコンプレックス、悩み、同一性障害や他の色んな障害を持つ人、将来の夢を捨てて進んだ道があるからこそ、夢の事に触れると動けない人。


でも、勇気を出して一歩ずつ進む事の大事さ。


からかわれたって、いじめられたって、いつか皆が気付く。


自分みたいな負け犬になりたいと思っている事を。


負け犬はただ負けているのではなく、自分をしっかりと持ち、夢に向かって進んで行くその強さ、人とは違った自分であってもそれを自分が認めれば、自ずと周囲も認めてくれるようになる。


色んなメッセージが込められていました。


中でも涙が出て来たのは。


君にはすばらしい何かを持っている。


だから、コンプレックスにならずに、自分自身を愛するのよ。


あるべき姿で生まれて来たのだから。


顔をあげて突き進もう!!


自分を信じて行くべき道を進もう。


それが自分なの。


人生に困難があっても、理不尽な事があっても、逃げて後悔しないで。


生まれついての行くべき道を進む、これが自分自身なの。


涙も出ましたが、息子も号泣してました。


息子もGleeが大好きで以前からDVDを借りて来ては一緒に見てました。


今回のコンサートDVDでは、始めは娘と息子が一緒に踊りながら歌っていたという感じではありますが、ある時から(アスペと言う言葉が出て来た時から)その動きが止まり、じっと色んな人の言葉に耳を傾け、歌の歌詞をじっと見てました。


Gleeでは、原曲のままのものもありますが、時々詩だけを書き変えて原曲に合わせて歌うというものもあります。


ある意味のここまでの人権啓発と言うか、ここまでのメッセージ性の強いものを今まで見た事あったかな?と言うすばらしいコンサートDVDでした。


始めこのDVDが見たい!と主人にお願した時は、昔の有名な曲はほとんど私が学生時代や社会人になる前くらいに流行った曲ばかりなので、それを聞きたい!そしてそれをアレンジして踊るGleeCastがみたい!それだけでした。


が、今回レンタルで借りて来ましたが、まずはこれは買いかなと思ってます。


私の文章力のないメッセージでしたが、やはり言えるのは。。。


自分を信じる事をやめないで Don't Stop Believin'


あきらめないで!!


それに尽きると思います。


皆違って皆いい。。。


良く聞く言葉ですが、これを当事者らを交えて当事者の言葉を引きだしながら、うまく映像化した物の私的には代表作だとも思います。


ご興味のある方は、是非一度見てみてくださいね^^


*ここで言う負け犬と言うのは、私達発達障害児の親がたまに使う、定型発達児ではない子、他の子と違う子、でも、負けてばかりではなく、自分を信じて自分の道をまっすぐに進んで行く人。と言う意味であり、スタートでは負けているかもしれないけど、決して人生においては負けてない人、と言う意味です。

これからの目標!!


息子もいよいよ5年生も終わりに近づいて来ました。


今日は担任の先生からお見舞いのお電話を頂いて色んなお話をしましたが、それはさておいて、息子の事について今後の目標設定などを話しました。


息子のADHDと言う特性があるなしに関わらず、今後必要となって来る事など。


まずは。。。


提出物などの忘れ物を無くす!!


これがまずの第一目標です。


中学校になり内申点を稼ぐ事を考えると、他でせっかく稼げても提出物などで減点される可能性があるとの事。


なので、せっかく学力はあるのだから、特性と言う部分であってもそれを克服して行かなければせっかくの本来の力が活きてこないとの事でした。


なので〜まずは、提出物や忘れ物をなくすこと!!


これに限る!!です。


まぁ他にも学ぶべき事はありますが、それは他の周囲のお子さんがその時期に学ぶ事と同じ事ですので、焦らずに覚えて行って欲しい事もありますが、細かい事を言いだすときりがありません。


まぁ整理整頓が出来なくても死にはしないわ!!と言う私の今までの考え方も少し変更点を入れ、忘れ物をしない=整理整頓が出来ていれば〜に繋がるでしょうから、そこ辺りを今一度力を入れたいと思っています。


今のこの時期に来て、活発になって来たお友達関係も、一つ一つが勉強です。


色んな事が苦手な子は息子だけではありません。


他のお子さんとて同じ事。


そう言う事も最近ひしひしと感じながら、我が子を見守りつつ周囲も見守らないとと言う気持ちにもなっています。

強さって何?


一昨日久しぶりに白い天井を眺めながら一人で静かに眠れぬ夜を過ごした私。


結果的には病院内で眠れはしなかったので、起きてはいたのですが、静かな環境で色んな事を考えました。


それは、「強さって何?」と言う事。


息子は2年生の頃から歴代の担任の先生に、


「Yuuくん弱いですからね〜」


と言われて来ました。


当時、私は意味が分からずYuu's Diaryのブログにも、


「意味分かんない!腕っ節が弱いって事?腕っ節だけが強いなんてそれが一体何になるの?腕っ節の事だけなら弱くて結構!!」


と吠えた事も幾度かありました。


が、今考えると本当に私っておバカ。。><


口に出して先生と話すと、アハハって笑われそうですが、何が腕っ節よ!全然腕っ節の強さではない事がようやく分かりました。


それは


「心の強さ」


そう言う事だったんですよね。


それに気付いたのが、この5年生も終わりに近づいて来た時。


5年生になって一度荒れた子が、いきなり下校途中で息子の腹部を思いっきり数回蹴って来た。


それもサッカー部の子。


意味が分からず、帰宅後にすぐに学校の先生へ連絡。


結果、暴力をふるうのに原因がなく、すごくイライラしていてたまたまそこに通りがかったのが息子だったから思いっきり蹴ったとの事。


その時は無言ではあったけれども、息子は反射的に当たっても痛くないように腹筋に力を入れて身体を逃したので、たいして痛くはなかったというのが本音だけど、サッカー部の子のキック力はあなどれないので、私が学校へ連絡。


そこにいたから・・・理由はない・・・と言う言葉に恐ろしさを感じた1回目。


それから年が明けて2回目は、友達と一緒に帰っていたら別の子が蹴って来た。


やはりサッカー部の子。


サッカー部の中で何かあるのかな?と思ったのと、2度もサッカー部の子にやられた事に激怒した私は当然学校の先生に連絡。


今回も、別にYuuだから蹴ったわけではなく、むしゃくしゃしていたし、息子が一緒に帰っていた友達と話がしたかったから。。。などの理屈にならない理屈。


1回目も2回目も息子が嫌いだからとか、息子だから蹴ったという理由ではなかったので、少し安堵もしたけど。


2回目は、息子が吠えた。


息子を蹴りながら、相手の子が


「おらおら、仕返ししてみろよ!俺を殴ったり蹴ったりしてみろよ!!」


と言って来た時に、息子が


「俺の手はお前を殴る為にあるもんじゃねぇ!俺の脚は人を蹴る為にあるんじゃねぇ!殴りたけりゃ殴れよ!お前の足はサッカーボールを蹴る為にあるんじゃなかったのか?人を蹴る足なんていらねぇよ!!」


学校の先生からその子の家に連絡をした時に、その子自身から先生は聞いたそうです。


先生は涙を流しながら、


「そう言う言葉が言えるYuuくんの心の強さ、そして我慢強さ、痛みに耐えながらどう言う気持ちでそう言う事を言ったのか分かるの?先生は君を許せない!!」


と言ったそうです。


その時に、相手の子は息子に対して、はっと我に返り、妙に息子への親近感と強い物への憧れにも似た思いを抱いたようです。


まぁ現実は、それ以降息子には全く手も出さずに、親しく近づいてくるようにはなったそうですが、他の弱い子にはまだ叩いたり蹴ったりしているそうで。。。


まぁ環境と言う言葉がありますが、その頃から学校ではあちらこちらのクラスがガタガタを音を立てて学級崩壊と言う事が起こってました。


その学級崩壊に巻き込まれたのか、はたまた日々の学級崩壊の現状を子供自身らも目にしていて、落ち着かないのか、そう言う子らからの鬱憤のはけ口にされた息子だったのですが、息子は今は芯がぶれない。


環境には左右されない子になっています。


それで、びくともしない。


加えて、口の暴力を続けていた子達に対しては、同じ事を繰り返さないように、自分の手で鉄拳制裁を加え、黙っているからと言ってなめるんじゃない!と、1発ずつこぶしを振りおろした結果、最近は口の暴力のはけ口の相手を変えた様子。


まぁ現実としては賛否両論あるかとは思いますが、私はこれは我が家的には大正解。


息子のいつでも手を出すではなく、我慢しながらも耐えながらも、限度が切れると人間って何するか分かんないぞ?いい加減にしろ!もっと考えて言葉は口にしろ!!と言う事を身をもって教え、それから数日後に学校の先生と別件で話をする事があった時に、私の方からそれを口にしましたが、他の先生もその事は知ってらして、ニコニコと


良いと思いますよ!いつ息子さんがそう言う刃を向いてくれるのか。。と待ってました。


との事でした。


我慢も出来る、嫌だからすぐに手を出すわけではなく、タイミングを見て、きちんと相手に制裁を加える。


息子さん、本当に強くなりましたね!立派です!!


とまでおっしゃって頂きました。


私は、先生が暴力を息子がふるった事に否定的な事を言われたら、反論するつもりでした。


謝罪なんてする気はなく、とことん先生と戦ってやるつもりでした。


が、先生の口から聞いたのは、


強くなりましたね。


それも、腕力ではなく


心の強さ。


あ〜息子が弱いと言われてたのは、こう言う事だったのね。。。と改めて気付いた事でした。


長くかかりましたし、トラブルに巻き込まれる事は多々ありました。


息子が原因ではなくてもね。


今は、全くありません。


学校の中でもあちらこちらでトラブルが勃発しているようですが、息子は全くの蚊帳の外です。


心に太い芯が入ったのかもしれません。


この強さ、守ってあげたいと思います。


でも、ここまで来るのに本当に学校では5年かかりました。


長かったです。


途中、親も子も本当に辛かった事が多々ありました。


今は強くなった息子に万歳です!!

思春期BOY!


昨日もまぁ色々とありました。


私が一番驚いた事は、すんごい顔ですんごい目で睨む睨む。


目で制する。。とはこう言う事でしょうか?


昨日は、思春期とADHDと言う事で、ネットで色々と調べてました。


とある臨床心理士さんが書かれているブログの中であったのは、やはり思春期とは自分との対峙が始まる次期でもあるので、告知が必要。


それによって自分をより知る事が出来る。。。と書いてありましたが、いや私はどちらにせよ自分との対峙が始まると、告知が後でも先でも対峙の時期には荒れる。。と言う事ですね。


きっと、告知を素直に受け入れる事が出来ても、そこに来るのは自分はどうして??何故自分が?と言う事。


幼稚園の頃に診断を受けてからすぐに告知した息子でさえ、自分の得手不得手を心得ている息子でさえ、悩んでますから。


告知に関しては本当に難しいなぁと感じてます。


で、あちらこちらでよくこの時期が適切とか、早い方がいいとか、5年生になったら。。とか、色んな言葉は見ますが、きっと正解はないんだろうなぁとも思います。


息子の今の状況は、自分との対峙の真っ最中で、当然自分の中にあるADHDと言う障害に対して嫌でも目が向いてしまいます。


そして悶々としながらも息子の口から出た言葉は。。「死んじゃいたい」でした。


一昨日の事でした。


自分がこれまでしてきた苦労、努力、これは本当に将来報われる事が来るのか、否か、今はまだ全てに障害である人間が認められているわけではないのは子どもの自分から見ても明らか。


幼稚園の頃に経験した、障害を持つが故の健常世界からの抹殺にも思えたらしい経験も加わって、自分が本当に努力し続けて来て、一見は普通、でも実は障害を持っていると分かった時に、またその時にも障害故に色んな事が叶わなかったら。


自分のこれまでの努力が水の泡となり、結局は障害と言う言葉は自分の足枷となってしまう。


自分は6年生になろうとしている今でもその経験はまだしっかりと覚えていて、今後何年後か?十何年後かに再度そう言う事があったら、世の中が障害を受け入れてなくって、認めてないという事になる。


そう言う事をまた経験しなくてはならないのなら、自分の生きている価値って一体どれだけのものがあるんだろう。


障害を持っているのなら、障害児、障害者らしく隅に縮こまって生きていけ!と言う事なんだろうから、自分はそう言う経験はいらない。


だから・・・今のうちに死んじゃいたい。。。
でした。


当然私はその日は眠れず、翌日も眠れず、ひたすらネットで今息子が向き合っている事、こう言う場合はどうすればいいのか。。など、正解のない世界へ現実逃避してひたすら何かヒントを!と探し回っていました。


とりあえず今は、息子の様子を見ながらもひたすら意識しながら普通に接し、言葉数こそは減りましたが目は離してないよ?と言う事を息子に必死に伝えようと、言葉では今は何も息子には響きませんので、態度で伝わればと色んな事を考えながらやっている所です。


だからと言って、腫れものにさわるようにではなく、今まで以上に端的に息子との会話は持とうと思っています。


でも、そう言う中で来るんですよね〜。。。


睨みや凄味が。。><


思春期の時は、大人対大人くらいのつもりで対応すると子どもが認められているという意識を持ち、楽になってまっすぐに思春期を乗り越えられるという情報も観ましたので、まだ大人対大人で全ては片付けられませんが、表面は大人対大人の対応。そして、目は離さず息子のいない時にこっそりと息子の部屋や私の隣の机を整理しながら息子の見落としを見つけてあげようとも思っています。


だけど、難しいですね〜><


いや、本当に難しい。


親だってイライラしますし、疲れますが。。。


私の頭の中ではしばらくは息子の「死んじゃいたい」と言う叫びは消えそうもないので、心してかかっていくしかないかな?と思っています。


追記:


次の医師との診察は今月中盤以降ではありますが、その時までしっかりと様子を見ながら、医師に相談したいと思います。


何を今心配しているのかと言うと、生死についての言葉が出て来た以上は放置しておくことも出来ずにいる私です(親であれば当たり前ですよね)。
思春期鬱もあるのかないのか、息子のケースについて相談して来ようと思います。

子供の思春期について考える


私達発達障害児を持つ親として考える事は、もちろん肉体的な成長などについても親としては戸惑いながらも喜ばしい事ではありますが、一番に考えなくてはならないのが心理面ではないかと言う事。


思春期の特徴として、


今までの「親への依存から自立」への道が一番最初に現れるんだと思います。


ある意味反抗期って事ですね。


親に頼る事をせずに一人で解決しようとしたり、親と距離を置きたがるようになります。


色んな「大人」の言葉に過剰に反応したりもします。


それは大人への親の「矛盾」を知りそれについて自分の中で「葛藤」する。。。


その葛藤がまた親への大人への反抗に繋がる。。と思っています。


まさに今、我が息子もその渦中にいる一人です。


色んな事への葛藤が始まり、自分の中でうまくまだ処理が出来ないので、苦しむ。


当然その疑問や矛盾は親へとぶつけられてくる。


親は、正論で答えようとしてもそれは一種の子供だましでしかないわけで、余計に子供は葛藤する。


加えて同時に自分自身に対しての対峙も始まりました。


きっと、息子にとっては一番の壁なんだと思います。


自分自身の持つ特性と向き合う事、どうして?何故?から、どうしたらいい、こうしたら自分が楽。。そう言う所まで自分で考え、持って行かなくてはなりません。


しばらくはこれの繰り返しなのかな。。とも思っています。


その葛藤の中で、どれだけうまく自分の中で処理されていくのか。


そのたまるストレスをどれだけうまく処理していくのか。


そのストレスのはけ口を自分で探すのも難しいお子さんもいるでしょう。


親の隠れた手助けは必要かもしれません。


とはいえ、我が家ではそのストレスのはけ口として、ただ友達と過ごす時間を持つ。。こう言う事しか今は手立てはないのですが。


なるべく友達と過ごす時間を作って、内に籠る事が少なくなるようにはしていますが、なかなかどうして自分の内に籠るとそれは自分の中の対障害について考えるようになってしまっているのが現実。


昨夜も息子とは色んな事を話もしましたが、障害と言う事について学校での対処法や色んな事は心得て来ていて、またそれについても頑張っていても、今はその頑張ると言う事自体に疲れているのか、息子の中での自身との対峙が始まっています。


来るべき時が来た。。と言う事でもあるんでしょうが、なかなか手ごわいと言うのも現実です。


あまりそう言う時期に、息子に口頭で理論的に出来るようになってきたじゃない!と言う事を話しても全くもって響きません。


とりあえず今朝は息子が登校した後に、プリントに時系列での成長を作りプリントしました。


それを見て、しっかりと段階を経てここまで成長してきている事、今まで過ごしてきた年月よりもこれから過ごす年月の方が長い事、私が口出し出来るのはそう言う意味での息子の特性、所謂障害の部分だけと言う事になると思ってもいます。


もちろんまだ10歳と言う5年生なので、生活の中で色んな事は口出しはするとは思います。


宿題終わった?とか、勉強終わった?時間割の支度は出来た?抜けはない?とかね。


それすらうざいと思われるようになってきたら、その時が完全に口を出すのを辞める時かな?とも思ってます。


少しだけ見えるようになった想像が出来るようになった将来に対しての不安、今の自分と今の周囲との違いを察知し、その違いに対しての不安、これでいいのか?色んな事に対してこれでいいのか?と自問自答するような不安。


不安ばかりに陥っていたら、そのうち大変な事にもなるなぁと思いつつ、一つずつ対処とは言っても、結局そこを乗り越えるのは本人であり自分自身であるので、息子の頭の中や心の中までは私は開いて見る事も出来ないので、色んな歯がゆさを抱えています。


そこで、あーだからこーだからと勝手に親が方向性を位置づけてしまったら、自分では歩く事が出来なくなるので。


自分で自分の道を探す事が出来なくなると私個人は今直面した思春期を迎えた息子を見ていて感じています。


一度にたくさんでなくてもいいから、一つ一つ目の前の不安視している事から逃げずに、たまには息を抜きながらしっかりと自分に対峙して行って欲しいとも思います。


今年、今季の1年間は楽に過ごせそうな〜んて簡単に考えていた私。


早速新しい乗り越えなくてはならない壁が立ちはだかっています。


これからの数年間は、息子の思春期をうまく乗り越えるべく、後押ししながら一緒に向き合って行こうと思います。


小学校5年生の後半にいて今こうなのだから、中学生とかになったらどうなるんだろう。。。


本当に、予測すら出来ません><


やっぱり。。母はゆっくりできる暇はないのね。。><

色々な疑問・・・


息子がADHDと診断されて再来月で丸7年になろうとしています。


最近時間があると、Left menuにリンクしてますYuu's Diaryを読んでいます。


自分の過去ブログではありますが、実はいまだに直視できないでいます。


平然を装いながらも苦しかったあの時期に書いているブログ。
色んな事を書きながらも、でも思ったのは私自身の軸はぶれてない!と言う事。
でも読み返しても読み返しても自分自身で納得行かない事があって。


このブログ。。息子の成長記録として生まれた時から初めているブログで、Yuu's DiaryADHDと診断されてからの成長記録です。


が、どうしても愚痴ブログにしか思えない時もあって。。。


改めて思い返してみると、本当に色んな事があったなぁ。。。こんな事もあったんだ!と改めて思い出すと共に、今となればすっかりと忘れてしまっている事すらあります。


私って一体何がしたかったんだろう?


何が言いたかったんだろう?


きっとね、人ってどうしようもなく大変な時に、一言同調してもらったり、大丈夫だよ!と言ってもらったり、今の自分がしている事を肯定してもらったりする時期も必要なんだよな。。と改めて思ったり。


私もたくさんの励ましや応援して頂いたおかげで、自分の軸を曲げる事なく今までこれた事に本当にブログを読んで下さった方々、声を掛けて下さった方々には今でもただただありがとう!と言う感謝の気持ちでいっぱいです。


ADHD児(発達障害児)を育てている中で、子供はもちろん成長しますが、そこで気付かなかった事の一つとして、親も子供の診断された年月だけその障害と向き合い、勉強もし、詳しくもなります。
ある意味自身の子供の障害については、私はプロフェッショナルだと思っています。
ただし、息子自身に対してだけですけどね^^;


そう言う奢りとも言える発言が出来るようになったのは、息子の成長とともにきっと私も成長したから!^^
(うっわ〜上から目線?><)


もうすぐ診断されて7年と言う事は、私も7歳になるって事で、人間の通常の年齢で言えば小学校2年生に進級する年です。


そう思うと、確かにそうだよな。。。今までは本当に右往左往しながら、迷いながら解らない未知の世界をひたすら進み、突き進んだ結果、まず色んな意味での周りが見えてくるようになって、最初のハードルを越えたのが今だと思っています。


学校に慣れていよいよ2年生と言うのもそう言う頃ですよね^^


その私の今までと言うのは、本当に私は何も解ってなかった。


学校と言う場所、先生と言う位置づけの人達、その人たちがしようとしている事、一体何を息子に課してるのか真意も解らず、自身の不安の矛先はまずは学校に、担任の先生へと向けられていました。


本当にブログの中には当時のその時々の担任の先生へ対する愚痴やある意味の否定するような発言が随所にあり、削除したいくらいの思いもあります。


と言うのは、その各々の学年でなされていた事には、ブツ切れではなく、繋がりがある。。と言うのが今になってやっと分かったから。


渦中の時は全く考えもしてなかった私。


当時の私に何かアドバイス出来るとすると、


大丈夫だから!今は今のまま流されて頑張って突き進むしかないんだよ!
学校の先生に文句言ったって先生達動いた?動かなかったでしょ?
それは学校の先生達だって色々と考えながら動いてくれてたわけで、それが渦中の私には響かなくって届かなくって、察する事も出来なかったんだよ?
今の私はもうすぐ6年生の親になってるの。


息子が2年生の時の私へ・・大丈夫だから!今は守られながら英気を養う時だよ!


息子が3年生の時の私へ・・苦しいよね、辛いよね、たまんないよね、涙が出るよね?でもね、その涙は決して無駄にはならないから!それを乗り越えた後には大きく成長した息子が見えるんだから!


息子が4年生の時の私へ・・ほらね、今度はとっても優しい担任の先生になったでしょ?でも観て御覧。息子はどうよ!それに甘んじる事なく自立が始まってきたじゃない!自分の足で歩く術を探しているじゃない。
これが苦しみを乗り越えた後の成長って言うんだよ。


5年生の時の私・・・って今か。年明けからバタバタと色んな事があって転校する事にもなったけど、確かに環境や全てが今と違う所に行ったけど、そのおかげで息子は自分で考えて動く事を覚えたじゃない。課題としていた対人関係をうまく保つには。。と言う事まで考えるようになったじゃない。
大の5年生の男の子が分かれが寂しくてつらいと泣くんだよ、親の前で。それほど大きな影響を与えてくれたんだよ。
おかげで、本当の意味の自立の準備が始まったじゃない。反抗期にも突入したけどさ。。。


こう言う言葉を当時の渦中の私自身にかけてあげたい。


きっと私は頑固だから聞く耳もたない。全くもってね。


人にあれこれ言われるのも嫌、押しつけられるのだってもっと嫌。指図なんかされた日にはぁもう口も聞きたくない!


そう言う困った性格の持ち主だから、あ〜さっきhoko(自分)が言ってたのは、こう言う事だったんだ。。。と気が付くのはきっとそれでも今。


そう言う時期は人それぞれ違うんだとも思うし、子供の成長の早い遅いもそれぞれだから、もしかするとある人からすれば息子は遅い方かもしれないし、早いと思う人もいるかも知れない。


でもね、正直言って私には絶対に出来ない事がいまだにある。


人を羨む事を辞める事。


人と比べたらダメだって事は解ってるの。
息子にせよ娘にせよね。


でもね、羨む=目標にするってイメージだったらいいんじゃない?と勝手に自分自身に言い聞かせてる。


今の息子としての人物像の中の目標は、絶対に手は届かないけど、息子が1年生の頃の6年生だったRくん。
いい男になっちゃって、イケメンくんになっちゃって、性格が顔ににじみ出てるようになっちゃって〜♪


手は絶対に届かないけど、少しでも近づける事が出来たらなぁとは思う。


そして、これからの長い生徒生活。


もう学校の先生に対する愚痴や色んな事は言うまい!と決めてる今。


何故かと言うと、そう言う先生方の隠された真意と言うのに気付いたから。
そして悔しくも上手くその流れに息子を乗せてくれたって事かな。


色んなADHD部分で苦手な事を指摘されて怒り狂った時もあった。


でも、その指摘は今に活きてる。


無駄ではないし、逆に指摘されて気を付けたから成長した部分もあると言う事を忘れてはならないと本当に今思う。


学校の先生に理解を得る為に、息子に対して必要な支援を得る為に、親として何が出来るだろうと色々と考えていた。


でもね、バカみたいな話なんだけど、学校の先生はね、うちの息子はこう言う特性を持っていて、こう言う事が苦手ですって言えばね、それだけで分かるんだよね。


対応に時間がかかるのは、先生自身がまず自分の目でそれを確かめていたり、先生だって受け持ってたった1年でクラスの中の一人である息子の全てを把握なんて出来やしないよ。


親だって何年も育ててきて理解出来る事だってあるんだから。


それを焦っていた自分。


支援がない、対応がないとわめいていた自分が恥ずかしい・・・


必要なものは全て与えられていた。。。と言うのに。


だからこそ、今の息子があるんだと言う事を考えると、学校の先生に文句を言う筋合いなんてないね〜私。


それこそこれは卒業する時の言葉かもしれないけど、感謝の言葉しかない。。と言うのが正直な所。


そりゃぁ先生達だって万能な人達ではないから、先生達だって得手不得手は当然あるだろうから、色んな先生がいる。


でも、息子はそう言う先生達を観ながら、色んな人達がいるって事も学ぶんだよね。


自分の障害だけではなく、自分の得手不得手だけではなく、周りの人たちの得手不得手だけではなく、それは親だってあって、先生達にもあるって事を学ぶんだよね。


だから、息子は学校の先生の事は悪くは言わない。


例えばね、こんな感じ。

この間さぁ、国語の漢字の書き取りの小テストの答案用紙を先生失くしちゃってさぁ、よくある事なんだけどね、前は皆で探してあげたんだけど、最近じゃさ、みんなで先生に交渉すんだよ。今日中に見つからなかったらその小テストは全員を100点にしてくださいってね。笑えるでしょ?
でもさ、ある意味俺は安心したりもする。
やっぱり完璧な人間なんていないんだってね。
俺だって失くしたりすることも家ではあるけど、先生は職場であるんじゃん。
俺よりまずくね?笑


ってね。


だから、親の私ももっと先生に対して大らかであっても良かったんじゃないかな?って思うと、あの頃はきっと私は学校の先生なんだから!全て出来て当たり前!くらいに思っていたのかも知れない。


ADHDの子が普通級に来たからって何も臆する事なく対応も出来る。。それも身勝手な親の私の言う通りに!くらいに思っていたんだよね〜きっと。


そりゃぁ嫌な事も言われたさ。


言われたくない事だって言われたさ!


でも、それって今になったらさ、悔しいけどその通りだよねって今なら納得出来るんだよね。


今、一つ先生に何か言うとすれば。。。


発達障害児を育児している保護者達は、本当に懸命で懸命で、懸命な為に見れてない事もあって、見方が歪んでしまいそうなくらいに追い詰められたりしている人だっています。
でも、いつかその人達も皆目が覚めて、あっ!て気が付く時だってあります。


だからお願いだから、子供にも親にも暖かい目で接してあげて見守ってあげて欲しいと思います。
学校の先生だって発達障害児の色々を考えると大変だと言うのは本当に感じています。
だって、学校の先生はある意味定型発達をして来た子達に教える色んな事をマニュアル化されたもので教育されているわけであって、対応のお上手な先生は、きっとその先生自身の個人の資質の問題であって、それが今の教師の資質として採用された先生方だけではないのだから。


もう一つお願い。
学年が進むと、学校内での申し送りがきちんと行われていない学校もあると聞きます。
親は子供が進級する度に同じ事を担任の先生に説明する事すら苦痛に思えて来ます。
子供は当然成長して行きますが、学校内での成長は親の目からは見えません。
しっかりと校内でのそれも担任の先生だけではなく、学校全体で観れるように先生方全員での共通の指導と言う事で、申し送りを職員会議なりでそう言う場を設けて頂きたい。
そして、そう言う担任への説明と言う事を親がせずとも済むように、親と話をする場合は手紙ではないですが、前略で始められるような体制を整えて頂きたい。
そして、親の要望も聞きながら、後は決めるのは学校側ですから。
担任の先生が子供を観ながら、徐々に対応を考えて頂けたらと思います。


大きな事として、そう言う発達障害児を受け持った担任に定期的に話を聞ける場、又は相談役みたいな先生を付けて頂きたい。
それは担任一人の目から見て考えるではなく、一人の意見よりも他者の客観的な意見も必要な時もきっとあるから。
担任の先生を一人で追い詰めてもいけないし。


そうしながら、今渦中にいる親達の気持をも少しは理解してあげて。
不安を少しでも理解してやわらげてあげてもらいたいです。


親達も頑張ります。
だから、先生達も頑張って。。。


と言う傲慢な一人の母としての一人ごとでした。。。