巷が騒がしいようで^^;


一度はベッドに入り寝ようと思ったのですが、どうにも今夜は起きてなきゃいけない事があり、起きて来てネットサーフィンをしつつ、色々と思う事があったので。


先日、「子どもに広がる向精神薬の被害」と言う番組があると言う事は、友人から連絡を頂いて知ってました。


が、結果的には見る時間がなかったので、私は見てはいないのですが、案の定想像通りの内容だったようですね。


私は、基本的に有益な情報であれば番組も観たいけれども、その後荒れそうな物であれば観ない事にしています。


自分の中の軸をブラさない為に。


息子は、小学校1年生の運動会前からリタリンを服用始め、1年生の初冬にリタリンと変わり処方されるようになったコンサータを服用しています。


切欠は、息子が自分と周囲との違いに気が付き、自分は何故?と言う疑問を持ち始め、自分が起こしてしまうトラブル。つまり周囲に対する迷惑行為に悩み始めた事が切欠で、お薬があると言う事を聴きつけた息子が、服用したいと言う風に言いだしたからです。


多分ね、息子がここまで自身を顧みず、親もこれが特性だから。。で終わらせていたら、きっとお薬は服用しなかったでしょう。


ですが、支援級希望を蹴られ、普通級に入った以上は、ある意味の発達障害を持つと言う甘えは許されないと1年生に入学する時に悟りました。


息子の場合は、「本当に彼は運がいい!!」と私は感じているのですが、1年生の頃の担任は、お薬を服用するようになるまでもそうでしたが、服用するようになってからも、色々と調べてくださり「お薬を飲めば治るってものじゃないそうですね、お薬を飲んで頭の中がクリアになっている時に、正しい言動、色んな事を教え込む、そして本人がその特性上で出来にくい事を出来るように支援していかなくてはならないんですよね」と言う風におっしゃって下さり、その言葉は担任の先生のみならず、月1回だったかである学校全体の先生方の中である「気に掛けてあげたい子」に対する指導。。。と言う話し合いの中で、全校をあげて一貫した指導をして頂いた。。と言う事もあります。


その先生方の気持ちを裏切らないように、お薬は息子にとても良く効いてくれました。


医師からは服用したからと服用した全員が効くわけではないけれども、息子さんはある意味100%ADHDで、純粋なADHDなので、息子さんには合うと思います、と言われてました。


当時は、純粋な??と言う言葉の意味が良く解りませんでしたが、スペクトラムである以上、自閉傾向などを併せ持つお子さんもいらっしゃるそうで。。。


それがどういう意味を表すのか??と言う事も良くは解りませんし知りませんが。


そして、息子は18ミリから始めたコンサータを最大36ミリまで増量して服用してました。


増量する事に全く違和感がなかったわけでもないし、そもそもこういう強いお薬を服用すること自体に違和感もありましたし、親として辛かったですし、本当に飲ませずに済むのであれば。。と何度泣いた事か。。。


ですが、医師の言葉は、お薬と言う物は個に対しての適量があり、それは体格によってとか、色んなものがあります。


親が決断して、本当なら飲ませたくないお薬を飲ませる上で、効かない量を飲ませていて、意味はありません。


服用させるのであれば、効いて、学習出来て、彼にとって得るものが多い状況を作らなくてはなりません、その為に学校側もそれだけのフォローをして下さるのですから、今は親が迷っている場合じゃないですよね、迷うのなら辞めさせた方がいい。。。それが医師の言葉でした。


で、今小学校6年生なわけですが、最後の仕上げに入っています。。。学校側が!!


お薬を服用する上で、なかなか難しかった事は「忘れ物」のみだったのですが、これをお薬を服用しなかったらどうなるか??と言う事も含めて。


今、服用を辞めて2週間経ちます。


完全に卒業とは言いませんが、4年生の頃に無理やり卒業しようとしていたあの頃と比べたら、服用時となんら変わりない日常を送りながら、自然に卒業へ向かっている??と言う現在です。


で、今残っている「忘れ物」に対して、担任の先生も完全に無くす!!と、色んな策を講じて下さっています。


私は。。。色んな方のブログを拝見したり、色んな記事を読んだり、人の話を聞いたりしながらも、本当に息子はラッキーだな。。と思っています。


一つは、地域に恵まれ、学校に恵まれ、担任の先生に恵まれ。


1年生の頃に築いた先生との信頼がより強固なものになり、6年生を迎えた。。。と思っています。


そして、息子のある意味信念とも言える、人に迷惑をかけたくない。。。と言う気持ちが強かった為に、色んな部分が引き上げられてきたんではないだろうか。。とも思います。


毎年のように担任の先生に言われる事は、物の善悪を良く把握し、理解し、そして自分の特性をも大人以上に理解し、これをしないようにするには、と、自身で考えられる。。。だから、この子はある意味考え方も全てに関して大人です。。と言われます。


自分の気持ちが落ち着かない時は、自分で自分がリラックスできる何かを見つけられる。。。それはただのクールダウンではなく、自分の何かに繋がるような物だったりもします。


個々人により、それは違うものだったりするでしょうけど、我が家の場合は、それが息子が好きなサッカーだったり、体操だったり、今は音楽だったりもします。


まぁ人から観ると、色々と変わるのね〜と言われそうな時もありますが、子は成長の都度、変わるもので、息子の場合は自分が今必要としているものは何か、と言う物も変わり、それに都度合わせて来た。。と言う感じでしょうか。


本当に、お薬に対しても育児の方法にしても、個々人により考え方は様々です。


最近私が発達障害故の息子についての記事を書かなくなったのは、これも私も色んな考え方が変わり、主張=正ではないと言う事がとてもよく解って来たから。


でも、子の成長を記したいから、ブログは書いてる。。。と言う感じでしょうか。


まぁ。。正直、LADさんみたく、有益な情報をお伝え出来るほどの物が何もない。。と言うのも正直あるんですけどね^^:(本当にいつも解り易く様々な情報が書かれていて、凄いなぁと思っています^^)


ただ、最近あちらこちらでたまに遭遇する強すぎる主張は廻りが混乱しますし、廻りを惑わせてはいけないとも思いますし、自分の一度抱いた信念は誰かに言われた物でもなく、誰かに相談したものでもなく、自分なりに自分の子に対して有益な将来を見据えた上で決めた事なので、軸をぶらすわけにはいかない。。と言うのも正直な考えです。


息子は極めて重度に近い中度のADHDと診断された子です。


でも、今の息子はADHDのえ。。。の言葉もよくよく探さないと見つからない子です。


お薬を服用していた年月が長かった(約5年間)にも関らず、こういう風に自然に卒業へ向けて歩いている子もいると言う事を知ってもらいたいと思いました。


最近、やけに否定的な事ばかりが目に付くので、何となく書いてみました。


まぁ、正直親の私から観ても、息子はラッキーボーイなのかも知れないとも思います。。。


でも、自分が望んだ将来像、小学校と言う学生生活をどのようにして行きたいか、と言う目標を一つずつクリアして行った彼の努力は言葉には出来ないほどのものもありました。


今は、ただ彼の無事の完全卒業を見守るのみです。

難しいなぁ。。。


今日は娘の入園式でした。


以前から書いてましたが、娘は多動傾向はあります。


ただ、息子のADHDと比較してみると、大きな違いがあるのは、衝動性が決して強くない事と注意が細かく気を配れるという事かな。


色んな点で、細かいです。


それを念頭に置きながら、今日の娘を観察してみました。


例えば、入園式は親がそばにいたので、それでも走り回る子はいましたが、娘は我関せずと先生達と一緒に歌ったり、自分の担任の先生の紹介の時は、せんせ〜!!と手を振ったりしてました><


後は、記念写真撮影時に娘のクラスは一番順番が後!


待ち時間では、色々と配られたプリントの説明等がありました。


その際に、細かく説明をしてくれるのですが、子供達は飽きる飽きる><


娘は、先生の説明が耳に届いているようで、朝色んな物を提出するカゴを説明されると、そこに行き、かわいい〜と言ったり、いちいちアクション付き!なので、離席しちゃう。。。って感じ?


まさに興味がたくさんありまずは色々と触ってみたい〜と言った風でした。


当然、ピアノにも興味はしめしましたが、鍵が掛かっていたのでセーフ!!


先生がたいくつまぎれに手遊び歌をいくつかしてもらいましたが、ノリノリでやってました^^


と言うか、今日同じクラスに入園したお友達の中には、当然定型発達のお子さんはいるとしても、ムム??と思うようなお子さんもいらっしゃいました。


でも、統括して主人が言うには大人しすぎるんじゃ??と言うお子さんばかりでした。


なので、娘の元気良さはとても目立ってしまいます。


何と言うか、初対面の相手にも自分から自己紹介してよろしくね!と行きますが、他の子達は臆して一歩ひきます。。><


ボディタッチもなしでそばに寄るだけなのですけど。。。


息子が幼稚園の年中さんの時に補助に付いてくれた先生が娘のクラスの担任以外の補助として入ってます。


その補助がいるのは娘のクラスとお隣のクラスのみ。


まぁ娘のクラスでは、娘が元気が良いというのもありますし、私のムムっと言う感じも何だか当てはまるような気もしますし。


ただ、補助の先生とも色々とお話をしましたが、お兄ちゃんとの違いは、行っても帰って来ますよね^^姫ちゃんは^^とおっしゃってくれたところかなぁ。


まぁなんとか無事に入園式を済ませる事は出来ましたが、娘を見ていて色々と考えさせられました。


元気があって、初めての幼稚園生活で、色んなものに興味を示すのはある意味ごく当然の事じゃないかな?とかね。


娘は、とても楽しそうで生き生きとしてました。


が、それだけではなく、当然初めて感じただろう緊張感のせいもあり、夜になると熱を出して腹痛を訴え、娘初めての夜間病院に行く事にも。


本当に、このくらいの子を親の目でも発達障害を疑ったりするのって難しいですね。


今日の娘の良かった所は、先生から入園式が始まる前に「トイレに行く人〜」と言われた時に、手を挙げてクラスのトイレに行ったものの、そこは和式のトイレだった為に、洋式のトイレがいいと自分で言えて、その場所を教えてもらう事が出来た事でした。


無事にトイレトレーニングも駆け込みではありましたが、完璧にオムツも取れて身軽に入園出来た事が今の所は褒めてあげる所かなぁと思ってます。


そして、熱が出て病院から帰って来た時も、明日は幼稚園に行きたい!絶対に行く!と幼稚園を楽しみにしてくれている事でしょうか^^


私は、息子のADHDを考えると、ついつい色眼鏡で娘を見てしまう事もありますが、娘の持ち前の個性や性質を見間違わないように、結果がどうであろうが、娘自身を見て行きたいなと思った今日でした。

新しい先生の新しい対応・・・


6年生になった息子です。


今日はまだ新しいクラスになって今日で3日目の登校でした。


なのに!!昨日の疲れもあり、遅くまで起きていた事もあり、7時50分に起きて、7時55分に家を出た!!と言う何と言うだらしなさ。


起こさないよ!と言ってあるので、イライラしながらも起こさずに見てましたが、50分になってからは、起こさずにはいられませんでした。


そして、既に学校から帰宅してきた息子。


先日に先生に御挨拶のご連絡をした際に、息子の様子を伺いましたら、「特に何も問題はありませんよ〜」としか言われない息子ですが(いや、今から問題が出てたら大変ですが><)、今年の担任は発達障害にも知見がおありの先生。


その発達障害児に向けた対応が定型発達のお子さんにも良い効果がある!と言わんばかりに、年度初めから早速丁寧な指導が行われています。


連絡帳に記入すべき事が、今までは帰りの会時でした。


先生もバタバタで、配布物を忘れていたり、黒板に書く事の内容すらあれ?あれが書いてない!と言う事も多々ありました今まで。


が、朝休みのうちに翌日の予定を全て書き、先生からのチェックが全員に入る事になています。


クラス便り、学年通信においても、とても丁寧に予定が細かく書いてある事。


きっと、この先生はずっとこういう風にして来られたんでしょうね。


息子も、新しい形式での色々にはじめは先生からチェックも入ってましたが、慣れてくるとこれじゃぁ忘れる暇もない!と言っています。


朝休みは休憩時間、休み時間ではなく、今日の授業の準備をし、明日の事にまで目を向けると言う事にもつながっているんだと思います。


朝には翌日の予定って決まっているもんですものね。


加えて宿題についても、プリントで出る事がほとんどですから、事前に準備されているとすれば、朝に全てを子供達に伝える事も可能なのでしょう。


うちの新クラスは歴代の学年の時でも、忘れ物のトップ5に入る!と言われた子達が勢揃いしています。


先生の対応には感謝ですね。


私はこの6年生になった息子には、連絡帳以外にA5くらいのメモ帳ノートを渡しています。


それは、前学年の時の先生が、授業中には宿題の有無を言っていたにかかわらず、帰りの会での連絡帳に記入する事柄を記載せず、あれ??と言う事が多々あった事に加え、本人の連絡帳忘れなどの時にも対応できるようにと。


なので、常時メモノートをランドセルに入れてあります。


まぁ。。そのメモノートが入っている事じたいを忘れているという事もあるかもしれない!!と言う事は否定できませんけどね〜><


あ!連絡帳を忘れてしまった!そう言えばメモノートがあったんだ〜と機転がきく子であれば、連絡帳は忘れはしないとも思いますが(苦笑)


そんなこんなで始まりました新学期の、新しい先生での様々な対応。


定評のある先生ですし、新しい事を息子に教えてもらうたびに、ここでご紹介したいと思います。

新しい学年と担任の先生と・・・


今日は始業式でした。


昨日から息子は6年生として学校に行ってますが、今日はクラス編成による新しいクラスと、担任の先生の発表があるという事で、ドキドキしてましたが。。


結果的には、息子にとってはそりゃぁ誰にだって嫌な人の一人や二人いるでしょう!と言うクラス編成で、息子的にはあいつとあいつと一緒になってもうた〜とは言ってましたが、嫌な相手よりも仲の良い子の方が多いクラス。


おまけに担任の先生が。。


4年生の頃から良く知っている先生で、毎年息子の学年を持ち上がっていた先生でした。


まさか!!の担任になるとは!!


ある意味の安堵感ですね^^


担任の先生によってはクラスの雰囲気も変わって来るでしょうから、ひとまずは安心なクラスになりました。


来週、娘の幼稚園入園式を迎えた翌々日が早速の参観日です。


懇談会を楽しみにしてようと思います^^


この1年間も色々とある1年間でしょうけれど、スタート時は良い感じですから期待しつつ息子の更なる成長をも期待したいと思っています。

春休みの休薬日も本日で終了!


春休みにずっと抜いていたコンサータ


ようやく今日までで終了で、明日より再度コンサータ復活致します。


この春休みのコンサータを服用しなかった期間の出来事は、特に大きな事はありませんでしたが、


●驚くほどに睡眠時間をたっぷりとっていた。(寝すぎともいうけど)
●普段コンサータ服用中でも食欲がすごいのですが、抜いていた期間はよりすごかった。(食べすぎともいう・・)
●勉強中の集中力は、服用の有無にかかわらず変わらず集中力は付いてきている。
●やはり少々の多動はまだ残っている。
●注意散漫な部分が顕著に表れていたけれど、まぁそれはコンサータ服用中も大して大きな違いはないかな?
●注意散漫や衝動性の部分で、例えば危険回避などの面はコンサータ服用の有無は関係なく注意が出来るが、普段の日常のちょっとした事がなかなか徹底が出来ない。
ご飯をお茶碗によそおうときに、ご飯つぶが下に落ちても気づかない(苦笑)とか、足元にゴミが落ちていても踏んで素通りとかね。
●服を着替える時に、たんすから服を出しても引き出しが開けっぱなしだったりとか。
●多動の部分では、走り回ったりとか暴れたりとかはないにせよ、妙に動きが細かかったりする。
お口の多動と言う面では、ただでさえ口が悪くなっているので頻繁にしゃべり過ぎ〜と言うか以前の壊れたスピーカーではないにせよ、口の悪さが耳につく。。。


そんな感じでしょうか。


以前の休薬日と比べると、その色んな面での激しさは身を潜めつつも、やはりここは〜!!と言う所はまだまだあります。


ただ、私の声掛け一つで改善出来る所もあるので、そこは継続してやりながら学習していくところでもあります。


やっぱり気付かない・・と言う所が一番痛いですね。


なぜご飯をよそっててご飯は茶碗に入らずにこぼれた部分に気付かない?と本当に不思議でした。


食べ終わった食器を下げる時も、ご飯茶わんや自分が食べていたお皿等は片づけられてもお茶を飲んでいたコップはなぜ下げない?とかね。


まあ一つ一つやっていくしかないのですが、気付かない=視野が狭いのかな?と思いつつも、最近は落ちているものに気付くように、息子がたまにする言い訳の一つに「目が悪いから見えてないのかも。。」と言うのがあるので、それなら勉強中以外にも普段でもメガネをかけときな〜!!と言っています(笑)


色んな言い訳や逃げ口上が上手になってきているので、毎回それを潰して息子を追い詰める事はしませんが、たまにざっくりとその逃げの手を封じてみると、納得して諦めて気を付けるようになります。


もちろん気を付けると言っても短期間の事で、すぐに忘れるんですけどね〜><


この春休みは、本当に家事をたくさん手伝ってくれました。


中でも、お料理と掃除機かけは毎日欠かしてません。


1食だけの時も(息子が作るのが)あれば、時には3食とも作ってくれる時もあり、母としては大助かりです。


お料理作りは平日の学校が始まるとなかなかまとまった時間が取れないので休日くらいになってしまうでしょうけど、楽しそうなので続けさせてあげたいと思います。

とっても大事なことかも

いつも拝見しているYANBARU先生のブログの中から、息子にとって大事な事を抜粋させて頂きました。

3月のブログの中で、


 発達障害の根本問題(2012年3月)


 ADHDの本質は衝動統制の障害、ASの本質は対人関係の愛着の障害である。
 いずれも多数派に見られる様に「空気」で適度に制限・制御されることが無いため、ADHDは甘やかされれば(実は管理されすぎても)自分で衝動コントロールが出来ない大人に成長し、ASは甘やかされれば愛着対象に100%の要求をするようになり、いずれも思春期以降に深刻な不適応を来たす結果になる。


 診断とケア上の最大の問題は、「ADHDで依存的になっている例とASを区別すること」である。


 なぜなら、本来ADHDには依存は脳の働き上は極めて不自然なあり方で、完全に依存関係を取り去っても不健康になることは無いのに対し、ASにとっては依存はむしろ本来のあり方で、依存を完全に取り去ると病的な反応が予想されるからである。


 ADHDは幼少期の経過から「衝動コントロールを他者に委ねる」意味での「丸投げ依存」を主なスタイルとすることがありうる。
 しかしこの本来の脳のあり方に背くスタイルは思春期以降に社会的に破綻するのみならず、難治性のうつ状態をはじめとするさまざまな(身体を含む)疾患の根本原因となり、唯一の回復は依存から脱することにある。


 ASは本来名前のある個人同士の一対一の対人関係を基本とするため、「対等」「平等」という形の一般化は根本的に困難である。
 特定の相手が受け入れる限り要求は果てしなくエスカレートする。ただタイプの異なる(ADHDなどの)親との関係で思春期以前に「要求を部分的に諦めるしかない」ことを学習することは可能で、その場合のほうが予後(思春期以降の社会適応)が良い。


 思春期以前の養育の方針としては、ADHDでもASでも、「甘やかす」(先回りして困難を解決したり失敗の現実的な尻拭いをする)ことが最も思春期以降の本人を苦しめることになる。
 上記のようにADHDでは衝動統制を親に丸投げし、ASでは過度の依存を当たり前と思い込む結果になるからである。


 「空気」で衝動や愛着をコントロール出来ない以上、発達障害のケアの基本方針は、「言語的な説明と納得、合理的な行動のコントロールを体得させる」こと以外に無い。
 思春期以前に、「ダメなものは例外なくダメであり、その理由は合理的根拠があるから」という認知と行動のシステムを親を中心とする環境から体得させることで、思春期以降の不適応を最低限にすることが出来る。


YANBARU先生の、意味不明な人々−発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組むブログからの転載です。


これを拝読して思ったこと。


やはり、依存性の問題。


今、息子が依存している何かがあるとすれば、それは私に対して。


が、低学年の頃から、先生に頼る事を辞め、親に頼る事を辞めて来た息子は、少しずつ依存の道から離れて行っているような気がします。


今あるとすれば、子が親に対して沸くであろう、誰もが持つ甘えと言う意味の依存?
そうすれば、それは依存とは言わないのかな?とも思うけど。。。


基本的に、私個人的な気持ちとして、いつまでも何かに誰かに頼っていたら、本人が本当の意味での自立もできないという思いから、あえて涙を呑んで手を離してきた結果だろうとも思います。


親が口を出すのは、身体に傷を付けられて帰って来た時のみ、学校に事実を報告するのみ。
嫌な事を言われたとか、心を傷つけられたとかは、また別。


そこは、自身で乗り越えなくてはならない事でもあり、障害を持つ者として悪意のない言葉に傷つく事も悪意がある言葉に出会う事も多々あるわけですから、その時の対処法を自身で会得していくしかありません。


また、息子の特徴としては当然低学年の頃は場の空気を読む事が出来ずに、それがトラブルの原因となる事もありましたが、今はまず一歩引いて様子を見る。。という所から、瞬時に読み取れない空気をゆっくりではあるけれど読めるようにまでなりつつあります。


なので、余計な口を開かなくなり=トラブルが激減しました。
一歩引いて間を作る事により、考えるという事が出来るようになったとも思います。
衝動性も抑えられて来ているという事ですね。


当然、その大前提にはコンサータと言うお薬を服用している、という事もありますが、それでもコンサータは服用すればそれがすべて出来るようになる魔法のお薬ではありませんので、本人が心身を痛めながら傷つきながらも自身で学んで来た結果であろうと思います。


先を見通す事を考えると、必要な事をさせてきた。
でも、ほったらかしじゃないよ?ちゃんと見てあげてるからね。
応援しているからね。。と言うスタンスでした。


最終目標は、コンサータの有無を除いても、少し変わってる所もあるけど、社会的に周囲に認められ受け入れられる息子。


ADHDと言う特性があるから、こういう所が苦手ですとわざわざ訴えなくても済むような状況まで苦手を引き上げる事。


そりゃぁね、最終的にコンサータいらずになればそれに越したことはありませんが、本来学習しなければならない時期にしっかりと学習出来ていれば、それはお薬を服用しなくなったから出来ないではないですから。


逆に、学習すべき場所、機会(と言うのはそうそう何度もやってくるわけではないとも思っている)に学習出来ずにいると、その後が怖いような気もしますが、まずは私が考えなくてはならないのは、我が息子の事だけだとも思っているので。


何だか、YANBARU先生のブログを拝見し、私が今まで息子にやっている事は厳しすぎないか?と思ったりした事もありましたし、「厳しいんじゃ?」と言うご指摘を頂いた事もありましたが、いえいえ発達障害と特性を持つ息子、ADHDと言う特性を持つ息子を持つ以上、必要な事だったんだ。。と言う事を改めて感じて、少しだけ自分の今までの育児に自信が持てたような気もします。


親は時には涙を呑んで鬼になる事も必要。
でも、子供の心中を察しながらも甘えさせるではなく、共感してあげる事も必要。


そこで、甘えさせるという事よりも逃げ場も必要ですが、共感して心を寄り添ってあげる事により、本人が自身の力でそこから這い上がりる強さを身に付けて行くのではないか?とも思います。


子供は、自身が産んだ子であっても、子供であっても一人の個。
その個を自分自身でどうにかしようとしたりするよりも、子供自身にどうにかしなければと考えられるように、自分の道は自分で切り開けるような力を付けてあげたいと思います。

理想と現実は違うという方もいらっしゃるかもしれませんが、それが理想でなければ?それが現実だとしたら??。。。


私も理想では?と数年前まで思っていた一人です。


これからも、軸を踏み外さないように、ひたすら前を見て背中で息子を押して行こうと思いました。

え?え?え?え〜〜><


今日は、午後から息子の部屋の整理整頓の監督役??として、息子のベッドにでん!!と座っていました(笑)


口も出さず、手も出さず、ただ座っているだけですが、息子から緊張感が漂って来ます(笑)


でね。。。


私は息子の机の中を見たことがあるのは低学年1年生とか2年生の頃まで。


で、久しぶりにふと思い立って見てみたんですよ〜!!


すると。。。


机の中が空っぽなのはわかってました。


机の中をうまく整理整頓できないだろうと、机の引き出しは空っぽになるようにして、通常使う鉛筆は机の上の鉛筆立てに入れるようにしてましたし。


消しゴムは、机の上の小さい引き出しの中が消しゴム入れでした。


おかげで、あまり家でも学校でも物をなくすという事はほぼなかった息子ですが、今日はすごいものを発見しました!!!


机の引き出しをふと開けて、思わず締めてしまった私。


何だか違和感・・・


あれ??


と、もう一度引き出しを開けてみると、引き出しのなんというか上というか中の部分というか、赤く色が塗られてました(笑)


やられた〜!!><


もうね。。。


唖然として言葉にならず。


一応、いつころにこれ色を塗ったのぉ??クレパスで塗るとべたべたしちゃわない??と言うと、息子はもう何も言えずにただボー然と立ち尽くすのみ。


息子もボー然としてるくらいですから、まだまだ3年生か4年生の頃にやったんでしょうねぇ。。。


はぁ。。。5年生も終わった今になって気付く私も私だけど!!


まぁでも、息子がクレヨンなどの落とし方を調べて、明日の日中に自分で全部落としてくれるそうです。


まぁ自分の不始末は自分できちんと責任を取ってくれ。。。


これ本当にいつ頃やったんだろうねぇ。。。


ある意味、腹が立つというよりは、よくここまできれいに赤で塗れたなぁ。。とはじめはペンキか?くらいに思ったほどに、きれいに塗れているんですよね><


まぁ落ち着かなかった時期もありましたから、そういう時にやったのかも。


でも、どう思う?と聞いたら、俺も大変だったんだろうな。。って人ごとじゃん?><


明日は勉強前に早速落としてもらう事にします><