子離れ親離れ?


最近、息子の小学生時代を振り返りながら、色々と考えたり思いにふけったりもしています。


まだ今は5年生ではありますが、この小学校に入学してからの5年間はあっという間ではあったけれど、その時々に体感した時間は長かった〜。。。


息子の成長の事をADHDとの共存の事をひたすら考えながら、ひたすら必死でもがいてきた5年間でありました。


1年生の頃は、親も子も何も解らず、ただどうすればいいのか?小学生?
でも、ただ担任の先生に恵まれて息子が無事に小学生生活をスタートさせる事が出来た1年間でした。


2年生の頃は、担任の先生が代わったのにも関わらず、担任の先生って皆同じだよね〜くらいの軽い意識だった私は、いきなり先制パンチを食らう。
この子はADHDと言う特性を持っていて、今はお薬を服用していますので一応一見は普通に見えてもそうではないのです!と、色んな事をお願いや理解を求めて学校に出向く事が多かったです。
特にトラブルに巻き込まれる事にやけに過敏だったあの頃。
そう言う事もあったからか、担任の先生の出た行動は、ひたすら守る!
息子をひたすら守り、守られて過ごした2年生の1年間でした。


3年生の頃は、ADHDってなぁに?発達障害って私知らないわ〜と言うのを表に出されているような担任の先生でした。
個人面談の際に色々とお話しした結果、2年生の頃は守られて過ごした。。そう言う時期も子供にとっては必要であるけれど、子供自身の為にはそこから一歩踏み出て、色んな困難を乗り越えると言う力を蓄えさせる事も必要とスッパリ切り捨てられました(苦笑)
やんちゃな子に暴力を振るわれ続け、毎日怪我をして帰って来ていました。
ひたすら1年間親子共に耐えた1年間でした。


4年生の頃は、逆に特別支援学級などを受け持った事もある先生だとかで、とても配慮する事にかけてはかゆい所に手が届くようなきめ細かい担任でした。
が、今度はその配慮、支援の手を拒み始めるようになった息子。
やけに自分のADHDと言う特性を嫌い、ADHDではない普通の子になりたい、特別に自分だけ配慮ではなく、皆と同じに扱って欲しいと望むようになった息子でした。
コンサータをいきなりしばらくお休みしてみたり、色んな事に挑戦したりもしましたが、結果的に自分の特性を改めて知る事になります。
今必要な事は、無理やりADHDと言う特性を持つと言う現実から逃げる事ではなく、どう向き合いどう共存して行くかを考える事が必要である。。と言う事を息子自身でやっと気が付いた時に4年生が終わりました。


そして、5年生も終わりに近づいた今。
終わりに近づいて来た頃に、周囲の学級崩壊や色んな事により、落ち着かないざわざわしている子達に巻き込まれ、いわれのない暴力を受けたりした事が2回ほどありましたが、その事については結果オーライで、息子のその時の言動により、逆に息子の学校の先生を含め、暴力をふるった子、周囲の子の息子への評価を高めてくれた一件でもありました。
それ以外は今までで一番順風満帆に行っているように思います。

たった2カ月間ではありましたが、転校と言う事も経験し、そこでは発達障害児ではない息子、ADHDではない息子ただの普通の子供である息子と言うのを息子自身が体験し、改めて特性と言う名が付かなくても子供には得手不得手があり、人はそれをお互いに認め合う事が必要である事、その認めあえる環境を作るのはその子供同士が一緒に過ごす時間が長い学校と言う環境である事を、親子共々に感じた2カ月間でした。
あまりにも環境の違い過ぎる場所で過ごした時間でしたから、私は地元ではありましたが慣れる事が出来ませんでした。
全てがあまりにもスロー過ぎて、テンポが合わず、かと言って何をするにしても選択をするという自由もなかった。(息子の事についてね)
が、息子は居心地が良過ぎたのか、長く過ごした学校を転校する時にも見せなかった涙をたった2カ月間を過ごした学校を去る時には流した事だけは、私にとって忘れる事は出来ません。


羽田へ向かう飛行機の中で、息子は色々と考えたそうです。


前の元の環境へ戻る。帰る。。と言う事について同意したのは自分。
居心地の良い場所だったから離れたくなかったというのも本音。
友達も同級生も皆優しかった。
子供らしい子供達だった。
でも、自分の居場所は家族皆が一緒にいる場所。
そこで生きて行く為には、自分は改めてADHDと言う特性と向き合わなくてはならない。
2カ月間ではあったけれど、ADHDではない普通の子として生きて来た時間は自分の中で大事にして行きたい。
でも、もう逃げるのは辞める。


そうして、改めて私と息子はADHDとの共存を心に固く誓いました。


きっと、今までの環境下で愚痴や不平ばかりをこぼしていた毎日。


息子の色々がうまくいかないと、誰かのせいにしたくなったり、何かのせいにしたくなったり、とにかく何かにぶつけないと気が済まなかった。


息子が悪いわけじゃない!誰かが悪いわかじゃない!私だってこんなに頑張ってる!なのになぜ??と言う事ばかりをいつも考えてました。


本当はそう言う事ではなく、必死で自身のADHDと言う特性と立ち向かっている息子が一番大変だったのに。


自分の考えや思いと色んな事が噛み合わないだけで、苛立っていたあの頃。


今になって思うのは、そんなに必死になって何か得た?と言う事。


初めての育児の中で右も左も解らないのは皆同じであって、得手不得手がそれぞれ皆にあると言う事を実感するのもきっと私は遅かった。


それだけ周囲が全く見えてなかった自分だったんだろうと思います。


苦手な事があるのは息子だけじゃない。


それを実感し、皆同じだよ。。悩み育てている人は。。。とようやく思えるようになったのはごく最近の事。


反抗期にも突入し、まだまだ幼い面を残しながらも少しずつ自立への道を進み始めた息子とは、昨夜みたいに親子喧嘩をする事もあります。


大事なのは、今までADHDと言われてから植えつけられた息子への周囲のイメージではなく、息子の幼い頃のイメージではなく、これから息子が歩んで行く道。


確かに、昨夜は息子に対しても「まるで自分一人で大きくなった、育って来たかのような物の言い方をするな!一体あなたを育ててくるのにどれだけ大変だったと思うの?どれだけ苦労してきたと思うの?」と考えると、今の息子の成長を思うより、ただそれだけが情けなくって悔しくって、涙まで出て来ました。


息子の幼い頃のイメージを引きづっていたのは、誰でもない母である私。


きっと今の息子の言動は今の必要な成長過程のひとつであって、ここから息子は本当の意味での大変な道のりを自身で乗り出して行ったんだろうな。。と考えると、それも「大丈夫なの?本当に大丈夫?もうママの手を離すの?もう一人で大丈夫なの?」と考えると、それだけでもうたまらなくなります。


とは言っても、まだようやく一人で親の力を借りずに自身で一歩を踏み出す準備を始めたばかりでしょうから、息子が不安で振り向いた時にはいつも笑顔で見守っている私がいて、それを観た息子がまた安心してもう一歩、もう一歩と進んで行けるような母でありたいととっても大きな理想ですが、でもそうありたいと思っています。


親って辛いね〜。。。


どうしてこんなに辛い事が多いのかな。


これがあと何年か経ったら、辛い事も忘れて息子ったらさ〜と息子に対しての愚痴を言いながら、笑ってる私がいるのかしら?


子供の成長の都度、その時々によってその時々の悩みが出てくる。。と言っていたのは誰でもない私自身じゃん。


でも、結局それ自体に対応し切れてないね〜また私は。。。


自分自身にため息です。