考える事。

今日は朝からキッチン周りの大掃除をしています。
その大掃除をしながら、考えていた事。


私は、このADHD Life.netと言うサイトを通じて、息子の悲観的な幼稚園時代からを赤裸々と明かして来ました。


そして、自分が求めている同じような境遇の人達を探していました。
そして、一緒に共感し合い、慰め合い、励まし合い、頑張ろうね!と言う風に共感し合って来ました。


それから何年も経ち・・・


幼稚園生だった息子は、既に小学校5年生になりました。


あの頃と違うのは、当時は本当に現在進行形で発達障害等の今!を語る人がほとんどいなかった。
でも、今は?
たくさんのブログもあります。


色んな意味で、開かれてきたな〜と嬉しくも思います。


本当に息子が診断された頃って、確かに「ADHDって何?」みたいな調べればどこにでも載っているような情報であればありましたが、そのADHD児の予後ってどうなの?どういう未来が待ってるの?どうなるの?と言う事については、本当に正直全くと言って分かりませんでした。


今の私が、このブログを続けているのは、その、当時なかったADHD児の予後。
将来をきっと知りたいと思う人もいるだろう。。と言う思いもあり、幼稚園時代から小学校に進学し、毎年色んな事を経験しながらもなんとか進級し、とうとうあと残す所小学校生活も1年半と言う所まで来た息子の事を綴っています。


これも、息子の個人的な思いを考えると、限界は近づいているかな?とも思ってはいますが。


私は、一口に発達障害とは言っても、ADHD児の息子の事しか分からないのですが、息子は今の所薬物療法を経て、順調に育って来ています。


息子が診断された時に、ここまで赤裸々に成長の過程を記したものがあったなら。。。
きっと私はこれまでのように、悲観的になり過ぎずにいられたかもしれないし、その時々の息子の周囲の環境を素直に受け入れられたかもしれないとも思います。


薬物療法については、先日もテレビで放送されていたように、色々と問題もある事も承知しつつ、何も問題も副作用もない薬物はあり得ないとも思っていますが、今後はどのタイミングで次のステップにいくのか?と言う事も少しだけ考えています。


私がこれまで約11年弱息子を育てて来て思うのは、息子でラッキーだったと言う事。
過ぎるくらいに素直にADHDと言う事を受け入れてくれ、一緒になって考える事が出来て、一緒になって戦う事が出来たと言う事。


私は、これが私の一人相撲だったら。。。耐えられなかった部分も大いにありますので。


この息子が診断されて、今までの間、息子を育てて来て思う事があります。
必要なのは、一貫した姿勢。
子供に対しても当然必要ですし、自分自身に対しても。


当然、辛い苦しい道のりではありますので、これでいいの?本当にこれでいいの?と思う事は多々あります。
でも、ただ唯一ぶれずに一貫して持っていたいのは、子供が成長する上で、何を目標にして行くかと言う事。


それも、我が家では、私が勝手に立てた目標ではなく、タイミングが合って上手く告知も出来た事もあったのでしょうが、息子と話し合って決められたと言う事。


息子がADHDだと診断された時は、ADHD児にはどこかに潜んでいるだろう、隠れた才能を探しつつ、そこに焦点を置いていた時期もありました。


が、息子の目標は、そう言う事ではなく、特化した何かではなく、特異でない自分。
今までみたいに集団の中で目立っていた自分ではなく、集団の中に紛れられる自分。
目立たない普通である自分。


それが出来た上で、何かしら自分の中で得意なもので目立つ事が出来れば。
それは二の次です。


息子は、着実に集団と言う社会へ溶け込み、自立して行く為の道を歩み始めています。
そして、その集団と言う社会の中にいながら、自分の得意な物を見つけようとしているように思います。