息子じゃなくて私かよ!(笑)

今日は宮崎に来て初の私の病院の日でした。
が、予定していた病院に紹介状を持って行くと、別の病院に回され〜(笑)
まぁいいんですけどね。
手が負えないのは解ってますし。


で、別の病院への紹介状を手に、もう今日は病院のはしごはしんどいなぁと思いつつ、ちょっとぶらっと街へ出てみよう!と思い。。病院から歩いて向かったのですが。。。


以下、愚痴吐きありのお見苦しい部分もありますので、気分を害される可能性がある方は読まない方がいいかも?
もしお読みになって気分を害された方がいらっしゃったらごめんなさい。。


もうね。。。


私がこの日南市に住んでいたのは、おおよそ何年前だぁ?25年前まで?
25と言うとおぎゃ〜と生まれた赤ちゃんが立派に成人式を迎えて早い人なら結婚して子供もいる年齢ですよね。


25年の月日は色んな物を変化させてました。
街だったはずの場所は、廃墟。
商店街も廃墟。
真っ暗なアーケード街を通りぬけ、数件だけ電気も付けずにドアが開いていて、半額セールと書いてあった靴の上にはほこりが。。。


スーパーだった場所は、「空」の看板。
小学生の頃から妹達と立ち読みをしていた通い詰めた結構大きかった本屋さんも「空」。
学生の頃に通ったブティックも「空」。
学生の頃にも良く通って、大人になってからもたまに帰省すると友達と集まっていた喫茶店も「空」。


その商店街を通りぬける途中で大粒の涙がポロポロと。。
25年と言う月日はあの賑やかだった街をここまで廃墟と化させるのか。。


なんだかね。
震災が起こった東北地方でも、あの惨劇を見て途方に暮れていた人達の顔が目に浮かびますが、ここは震災が起こったわけでもなく、何かがあったわけでもなく、時間と言うものがこの街を風化させてしまっていた。。。


現実なんだけど、とても残酷に思えた。
でもね、現実、じゃぁあなたはここに一生住む?そう言う人達を募って人口を増やして、また街の活性化をしながら頑張れる?と言われたら、きっと私の答えはNO。


私の現実は、やはりここ日南市で過ごす事ではなく、今はここで生きているけれども、いずれ帰る場所があるから、帰る予定があるから私は帰る。。。
間違いなく帰る。。と、力が入ってしまっています。


言葉に表すのがとても難しいんだけど、例えば私が今まで住んでいた神奈川県内でも、みなとみらいの近辺と私が住んでいた市内とでは賑やかさは当然違うし、でも基本住みやすかった。
ほどよく便利でほどよく田舎?


でも、今のこの日南市は、ないないずくしで自分の地元とは言え、何か違う。。何かが違う。。と思ってしまっています。
普通にね、毎日を生きる事を考えると、スーパーだって立派なスーパーありますよ?
タイヨーとかとむらとかコープとか。


ほどよく安いし、ほどよく新鮮だし、ある程度は物も豊富。
こちらでも今回の震災については色々と張り紙等はしてはあるものの、特に何かにおいて影響を受けてる感も全くないし。
本当に、のんびり感すら感じます。


ただ、こののんびり感に焦りすら感じます。
母と会話しててたまに感じるのが、たまに昔話をしてて「そう言えばあのおばちゃんってさ。。」と言うと「あぁもう亡くなったよ。。」と、母の仲が良かったお友達も亡くなった方が増え。


あまりにもの自然の中で人までもが淘汰されて行くような気がして、もっと色んな意味でしっかりがっつり生きないと!と言うか、うまく言えないけどそんな気にさせられます。


でもね、ここで生きてる人達は皆それなりに真剣に前を向いて一生懸命生きている人ばかりで、こちらの地元の友達らも毎日朝から晩まで必死に働きながらも親と同居などをしながら育児をして。。と言う友達ばかりだし。
本当に一生懸命だとすれば、私がこの一生懸命さに付いていけないのかな?
私が都会で楽をすることばかりを覚えて来たのかな?


今日、病医院の帰りに友達夫婦が自営業をしているお店に顔を出して来たけど、立派な2代目?3代目?の奥さんになっていた友達。
私は毎日日焼け防止策に必至だったり、今日も唯一のデパート?の山形屋と言う所で日焼け防止のストールなんかを買い込んだり、やってるレベルが違いすぎる。。


何だか、うまくは言えないけれど、ただ。。違和感なのかな?
そんな感じがして、たまりません。


そんな時にめずらしくお昼休みにパパからかかって来た電話。
思わず泣きだしてしまいました。
帰りたいよ。。。