手話の実践。。。

今日は、当初は息子達のクラスだけの予定だったのが、4年生の各クラスに聴覚障害を持つ方が2名ずつ来て頂いたそうです。
皆始めは無言で手を動かす事をためらうほど、無口で緊張していたそうです。


手話をしながら歌う場面でも、始めは小さい声だったようですが、だんだんと大きくなり、最後にはしっかりとした大きな声で元気よく手話を交えた歌も歌えたそうです。
そして手話劇。


息子の役はくしゃみをする役だったそうですが、聴覚障害を持つ方々も息子の動作をきちんと笑って下さったそうで、息子曰く完璧!だったそうです。


帰宅して来た息子曰く、やっぱり発達障害の話になり。。。
耳が聞こえない人に対しては、皆まず「大変だろうな。。可哀そうと言う感情から入り、何かを伝えるときには分かりやすいように伝えてあげようと言う努力をしようとするんだけど、僕達みたいな発達障害の子に対して、そう言う小さくてもいいから大変だろうな。。と言う思いとか言う理解が出来る人が増えてきたら、もっといいのにと思ったよ。変な人とかさ、頭が変とか思われるんじゃなくってさ。」と言ってました。


障害の種類は違っても、やはり障害は障害なんだから、見る目が変わって理解の仕方が変わると行けないと思ったそうです。


私もそう思います。


いくら発達障害と言う事が普及してきたとは言え、ADHDと言う言葉が普及されてきたとは言え、まだまだ本質を理解してもらえているわけではなく、その特徴である行動をすると理解を示す人は少なく、頭が変だとか、親のしつけがな〜んて口には出さなくても思う人が多い事も事実。


身体障害者に対しての理解はだいぶ深まって来た息子達クラスの子供達ですが、それで終わりにはせずに、思い切って次の発達障害と言う精神障害の分野まで行こうよ!先生!!


最近思います。
人間って、教えなくても困った人を助けようとする本能はあるはずだと。
あれほど走って走って追いかけないといけなかった娘。
私が走れなくなった時に、同時に走らなくなりました。


今は毎日ではありませんが、一日おきとかに二人で今までとおなじようにお散歩をしています。
私がたまによろけながら歩きますが、娘がずっと手をつないでくれているのです。
走らずにゆ〜っくりと歩いてくれているのです。


言葉での会話がまだ出来ない娘ですが、ゆっくりと歩いてあげよう、手をつないで歩いてあげようと言う事を本能で感じているのかしら?とも思います。
この娘の行動があるから、今でも私は一緒にお散歩やお買い物に行ける。


もし人間に小さな子供の頃からそういう本能があるのであれば、それを潰さずに暖かく大きく育ててあげたいと思った今日でした。


私も時期。。。そう言う身体障害者の枠に入ります。
まだまだ出来る事も多いので、等級は軽いのですが。
まずは自分の子供たちに伝える事、教えてあげられる事、人間的な事、たくさんあります。
親として、人として生きる道。。。これだけは忘れないようにと思っております。