2ヶ月間で見えた課題と成長

つい最近のようですが、それでもつい最近です。。。
宮崎に行く事について、そもそもの目的があったという事は置いといて、息子としての目標と課題と見えて来た成長を振り返りました。


宮崎での生活もろもろは、当初私が想像していたものと大きくかけ離れていたものであり、それは息子にとっても同じくでした。
ある意味。。なめてたのかな?と今思うとそういう事なのかなぁと思います。


宮崎での学校生活での目標は、息子のADHD歴の中で常日頃色んな事を頑張って来ていたので、その成果を観たかったというのもあり、ある意味発達障害児としてのADHD児としての配慮のない学校生活を送らせてみたかったというものが大きかったです。


その上で、息子自身の力でどこまで頑張れるか!というのを見てみたかったんですね。
当然。。コンサータありきですが。


その事については息子とも良く話はしてあったので、息子としても気合い十分に宮崎入りし、毎日の生活の中で色んな事を頑張り過ぎるくらいに頑張ってくれました。


環境の違いによる様々な変化にも学校の先生からも言われましたが、「自分から進んで環境の変化に適応しようとしている姿が見えていたので、周囲の受け入れ態勢もすぐに出来ました。一方通行ではこれはかなり難しくなりますが、そうではなかったので良かったです」との事でした。


また、これは性格なのかそれとも神奈川での環境により育まれたものなのか、「はっきりと主張する」事が出来ていたようです。


なので、宮崎での学校生活のスタートは、先生が危惧していた都会と田舎という環境の違いをものともせず、すんなりと入っていけたようでした。
後で分かった先生の方言による授業での言葉が分からなかったという事をのぞいては。


対人関係についても、息子がはっきり主張すれば相手もはっきりと主張してくれるので、お互いに分かり易かったみたいです。
もともと寛容な子供たちの中で「転校生」に対する受け入れ態勢は出来ていたようなので、ありがたかったですね。


唯一大変だったのが、やはり私も苦しみましたが学習に対する姿勢の違いから、何故そこまで学校が個人に対して関与してくるのだろう?と不思議でしたが、それこそ少しずつ環境に慣れ、色んな風土等を理解してくるようになると、おのずとそれも理解出来て来るものでもありました。


それも、息子本人はまずは自分の姿勢を表に出しながら、指摘を待ち、指摘を受けながら学校の姿勢に合わせて修正を入れていくという事が自分で出来ていたようにも思います。
最後には私の関与なしで、一人ですべてをこなし、評価を上げて行き、本人が納得行く2度目の最高評価を得られましたので、これもある意味短い時間での大きな成果だと思っています。


ここまでは良い事ばかりですが、まぁある意味コンサータを飲んでいる時の事です。
コンサータさえ飲めば、さほど心配する事もなく、問題もなく、頑張れているという感じでした。


課題点としては、やはり神奈川での主治医もおっしゃっていた「忘れ物はコンサータを飲んでも治るわけではないから」という言葉の通りに、ついついのうっかり忘れは続出していました。
せっかく宿題等を毎日しっかりとしていくのに、提出する際にプリントに名前を書き忘れていたり。
これは同じクラスの子も認めているくらいに、プリントの名前書き忘れは日常茶飯事だったようです(笑)


唯一、名札やハンカチティッシュや帽子や家を出るときに一声かけられるものに関しては忘れた事はなかったようですが(笑)


後はやはりコンサータが切れた後のセルフコントロールでしょうか。
どこまでセルフコントロールが効くか。
きっとこれはこれからもある意味長い長い課題になるとは思います。


宮崎での最後の登校の日。
学校へ書類を頂いたり、諸手続きをしに行った際に、わざわざ担任の先生が来てくれて色んなお話をしました。
加えて、私は知らなかった他の先生も来てくださって、色んなお話をしました。


先生曰く、「この土地の色んな事に慣れて行けば、真のリーダーシップが取れる子に成長すると思ってました。しっかりしていて、でもまじめ過ぎずに適度に周囲に合わせてふざけられるし、皆と一緒に私(先生)から叱られて居残りをする事もあるし、でも勉強もスポーツも出来てかなりクラスの中でも高感度が良かったです。今日は最後にYuuくんのお別れ会をしました。たったこれだけの短い期間だったにも関わらず、皆が残念がって悲しんでいました。また何かの折にでも来てください。またおじいちゃんおばあちゃんの事もありますから、転校してくるかも?と皆には伝えておいてもいいですか?」とも言われました。


この言葉は、息子が生れて来て以来のある意味での最高評価だと思っています。
ありがたく頂戴しながらも、きっと神奈川では同じようには行かない事は百も承知ではありますが、はっきりと見えて来ている課題を一つ一つクリアしながらも、また次の成長に向けて頑張って行きたいと思ってます。


昨日、実家を出てバスに乗って空港へ向かって行く途中で学校の横を通りました。
息子は涙をこぼしました。


実家での色々に息子を巻き込んでしまい、本当に良い被害者だったかもしれないとも思っておりますが、でも息子にとっても私にとっても良い経験が出来たと思っております。
この2カ月間の事は決して忘れる事は出来ない2カ月間になるでしょう。


明日からは元の学校へ戻ります。
先生のおっしゃった通りに、息子の後ろには宮崎の皆が付いている事を忘れずに!宮崎で過ごした事への誇りをも持ち、頑張ってもらいたいと思っています。